慶應義塾幼稚舎・横浜初等部の願書作成の参考にしていただくための
シリーズ「福翁百話をこの角度で見る」
今回は、
52話「独立は吾れに在て存す」
です。
この回を願書の題材に使うためには、少し「ひねり」と言いますか、解釈の仕方が重要になります。
と言うのも、本書全体を読めばそうでもないのですが、この回だけを見るとなかなか「いびつ」な考え方に見えるからです。
ご一読いただければ、すぐにお分かりいただけると思いますが、ここで福澤先生が言っているのは、ネガティブな意味のほうの「人は人、自分は自分」と読めるからです。
「人は人、自分は自分」を言い表す場合、たいていは、
・人のことは気にせず自分のことをやっていこう
・人には合わせず、自分のことを中心に考えよう
これら2つの意味を持っています。
微妙なニュアンスの違いですが、実態としては大違いで、前者の場合は、とてもポジティブで、「自分のことに集中しよう」「自分を大切にしようぜ」といったニュアンスですが、後者の場合は「人のことは知らない、自分が大事」というニュアンスです。
福澤先生がこの回で言っていることは、明らかに後者、ネガティブな意味合いのほうに見えます。
この考えでは福澤先生の言葉を借りれば「人間の生きる道は非常に窮屈で、色も艶もなく、到底打ち解けて人と交わることはかなわない」人生になるのではないかという気がします。
ちなみに福澤先生はこれを言ったのち、「が、実際はそうではない。なぜなら・・・」と続けていますが、続きを読んでも、「人間の生きる道は非常に窮屈で、色も艶もなく、到底打ち解けて人と交わることはかなわない」人生から脱するようには感じられないのです。
ここで言う「独立」は独立自尊というよりも緩やかな唯我独尊に見えてしまいます。
これを突き詰めた子育てをしていくと、出世して社会的に高いポジションとされる仕事に就いて、誰からも相手にされず、偉くなるしかない、かのような状態になる気がします。
たった独りの裸の王様は、
幸せ以外のものなら、
すべて手にすることができている
とは詠み人しらずの言葉です。
と、この種のことを願書の題材にできるはずもありませんので、この回を題材にするときはポジティブな意味のほうを採用することが大切です。
・人のことは気にせず自分のことをやっていこう
・自分もことも人のことも大切にしようよ
・自分も幸せ、人も幸せ、みんな幸せ
ほら、なんだか収まりが良くなった気がしませんか?
そして我が子もまた、こういった大人になるほうが幸せになると、たいていの親御さんであればそう考えるはずです。
福澤先生も本当はこういうことが言いたかったのかなと思っていただきますと、この回がポジティブな内容に見えてきます。
うーん、たぶん福澤先生は、勝海舟と坂本龍馬が一緒に楽しそうに酒を飲んでいるのを羨ましがっていたのかなあと、思ったり思わなかったり。